小町 -波に乗ること-
今日、また、大きく開いた。(普通に出来事だけ読むと単なるめんどい話ですが、ご自身のそれぞれに置き換えてもらえれば割とエッセンスです。)
今日の結論:単に、気になることに対して、焦ることはなく、無理に行動するでもなく、必ず波が来るから、その波は強迫観念ではなくやりたいという好奇心を刺激する楽しいものだから、それが来たら乗る。その時に損得抜きにする。そんだけ。
ある日(物語風に)、感情が揺さぶられたんですねー。
翌日友達が家に来ることになっていた。やりとりをしていると、
その友達が「浴衣買ったから持っていっていい?」と。
いいなあー!!!!と、おもった!
私も欲しい。っていうのと、
浴衣はいいな-と思うけどめんどくさいし、何からどうして良いのかわからない。と思って決め手に欠けていた。
そうしたら、行っている近所のゴスペルからグループメールが。
”恒例の浴衣賛美やります”と。
浴衣着てゴスペル歌うの!?・・・めっちゃやりたい。
更には、「着付けが必要な方は時間より前に集まって一緒に行きます」
着付けまでしてくれるのか!
翌日人が来る。片付けもあるし、そもそもほかにやることもある。
とりあえずぎりぎりまでパソコン作業をする。(15時くらい)
4時位には目的地に着きたかったのだ。
そして鎌倉行きの電車にのったのであった。
まえーに、鎌倉の小町通りを歩いていた時に、赤い浴衣があり、いいなとピンときたものの、なんとなく通り過ぎ、
後日やっぱり気になってわざわざ鎌倉まで戻ったもののなかったということがある。
浴衣なら、通販でも近所のダイエーでもしまむらでも売っているが、どうせ安い浴衣を買うなら以前ピンときた鎌倉に行きたかった。
何回来ても鎌倉ぐっとくるなー。と思って一目散に小町通りに。
結果。小町通りをくまなく見ても浴衣売ってる店はなかったのである。
そのまま鶴岡八幡さん参拝。
でかい道路の両側にある店をチェックしても浴衣売ってる店はなし。なんなん。鎌倉は浴衣売るの禁止でもしてんの!?
滞在時間1時間未満。帰ってもいいけど、小町通りで着物のレンタル屋があったなと、そんなにピンときてる店ではないけれど最後に行ってみた。
浴衣は売ってたものの。ものの見事にぱっとしない。
しかしすべてセットでありの価格だった。
そして着付けが付いていた。
着物屋さん特有の(私の経験)慇懃無礼的な強烈な営業一色のおばちゃん。
選びようがないくらい明らかにぱっとしない浴衣なのにこれはかわいいやつだとかもう決めないと店を出られない風情。
そして私は飛び込んでみようと思った。この明らかな失敗の買い物に。
浴衣へのすべてのめんどくさいと思っていることがこれで解消されると思った。
思い切ってぱっとしない中で一番惹かれるものに決めて、
試着室へ。
恐ろしく手際のよいおばちゃん。
そこで初めて知った。
浴衣は(浴衣の)下着を着なくてもいいんだと。
高校生の時カナダにホームステイした。
その時浴衣の着方を覚えて最後カナダでのパーティーの時に着たのだが。
まーうまく出来なかった。めっちゃ時間かかった。
そして実家でばあちゃんやお母さんに浴衣を着せてもらう時や、
神社で舞うバイトをした時に着付けてもらう時に、
なんて大変なんだと、そして、浴衣は夏に着るのに下に浴衣の下着を着るなんて暑い、蒸れる。
正直浴衣着るのは気持ち悪いんじゃないかと、遠い記憶と持ち前の潔癖がモヤモヤとさせていた。
しかし着物屋の営業の仮面を被ったおばちゃんは恐ろしいスピードでいとも簡単に着付けてくれて、「いや、着付けてもらいながら自分でも着付け把握したい」という私に、
ものすごく高速で、これがこうでね。と、いや普通それで分かるかい!という
ものすごく営業的な、適当な扱いを受けたおかげで、
え。浴衣ってこんなにシンプルで簡単なものだったの!?ち、ちょろい・・・。
これなら毎日着てもいいし普段着で着れるし夢の、
着物を日常に取り入れる。着物ともともに生きる。が出来るではないか。
一気に解決し、恐ろしく似合わない浴衣を着て帰りの電車に乗り、
興奮冷めやらずスマホで浴衣を検索。
これだ!という赤い浴衣を発見する。
↑これ。NMB48ってのが不本意だけど。この紅いの雅叙園!って感じで一気にこれがいいってなった。
そして、勢い余って近所のダイエーの着物屋さんに行ったのであった。
恐ろしくパッとせず似合わない浴衣に、黄色い帯がほしかったのだ。
そして、ある程度はわかっていた。
そこには、鎌倉で着付けてもらった浴衣よりかわいいものが半値に迫る勢いで売られていた。
ありなやつがいっぱいあったのだ。
もうやけくそでもう一着買ってやろうかと。こねくり回した挙げ句、
帯を2本買うという意味がわからない結果に至った。
全く好みの合わない店長さんが、いっそ渋い帯どうですかと出してくれた帯がめちゃくちゃよかった。
これを、自分が持っているガウン的な、洋服なんだけど着物っぽいやつ着る時に巻いたらどうだろうとぐっときてしまったのだ。
そして帰って買ってきた帯を締めようとしたら、
全く甘くなかった。
youtubeの着付けの動画見たら、着付けの小物が全く足りてなかった。
おばちゃんは手練れだからパシッときれいに素早く着付けができただけだったのだ。
やはり、浴衣といえど、洋服みたいに被って終わりではない。それなりなのだ。
そんなこんなで、結局普通の手間をかけて浴衣を着ることになったのだが、
なんか、ここまでもってこられた感じするよね。
気になってたけどめんどくさいとどうすればいいかわからなかったこと。
でも触れてみたら、めちゃくちゃ濃く楽しかった。結局手間もお金も使ったし、そんなことやらなくても通販や何でももっと効率よくお金もかからず浴衣に触れる方法なんていくらでもある。
でももう流れなんですねー。ここで冒頭の結論に至ります。
だから、ほんとに単に、気になることに対して、焦ることはなく、無理に行動するでもなく、必ず波が来るから、その波は強迫観念ではなくやりたいという好奇心を刺激する楽しいものだから、それが来たら乗る。その時に損得抜きにする。そんだけ。
オチとして、電車の中で見つけた好みの浴衣と、足りなかった着付け小物は彼氏さんに買ってもらうことになりました。お願いしました。
すると、新規でカードを作ることで、特典のポイントで買い物の料金がまかなえることになり、彼氏さんにも負担がなく買ってもらえることになりました。
その浴衣は帯とかついてないのですが、
謎に買った2本の帯があることで、もうまったく完璧に満足のセレクションになりました。
しかし、着物の魅力の底知れなさよ・・・。
しかし、着物で敷居が高いのは、”しきたりがありそう”って事。
よく、テレビで芸能人が着てる着物に、あんな着方ないわ。とかなってないみたいな。はしたない。みたいな。
こわすぎ。
好きに着てたら道で怒られそう。てか、人格まで疑われそう。
そしてそもそも。確かにある程度きちんと着ないとヨレヨレだということだ。
さっと羽織ったり、組み合わせたりできたらいいのに。
そこが着物のフレキシブルじゃないところだよね。
そうこうしていたら、明日来る友達が、「ゆかた長いんだよ。縫うものある?」と。
ゆかたは長いもんだよ。と言うと、
「そっか。羽織りでいけるかと思った」きたよ。私と同じ感覚の人が。
そのくらいは自由でいんじゃないかなあ。着物せっかく魅力的なんだからさ。
さて服について。
私は服やメイク、アクセサリーなど、おしゃれ。って書くと恥ずかしいけど大好きである。
えもいわれぬ感覚。もうとにかく好きである。ただ、自分の好きにしたいだけなのでショップ店員さんとかなりたいとは思わない。自分の中でこれにはこれ。みたいな黄金の法則みたいなのはあるけれど、ブランドとかこだわりもない。海外の人が日本を勘違いしたような服が好きなので、海外のファストファッションなんてうってつけだったしありがたいと思ってた。
私の中で好きなものにコーヒーがあるが、コーヒーが好きすぎてもはやこだわりもなく、たまに美味しいの飲んだらたしかにステキと思うけれど、日々はインスタントコーヒーを適当に淹れるので大満足。もはやコーヒー味だったらなんでもいいという勢い。
そんな感じでファストファッションむしろ全然好きだったんだけど、実はファストファッションは多くの人の犠牲の上に成り立っているらしい。え、まじで?そうなん?
確かに、好きだけど、そんな、人の犠牲の上に着なくてもいいかなあと思った。
少し別の話で、確かに質の話はあって。
昔、ブロウという映画が会ったんですね-。ジョニデが成り上がって落ちぶれるみたいな、ジェットコースターみたいな話。
そこで成り上がっていくジョニデの服の質がどんどん上がっているのに対して、
貧乏という設定の父親役の人の着てるものの質。
それが映画のスクリーンを通しても明らかで、すげえなと思った。
確かにいいものはいいんだろうし、手間暇とセンスと、エネルギーが注ぎ込まれたプロダクツは確固とした強さを放つ。
それと同じことを最近思ったのが、郁美さんなんですね。
郁美さんに会う時、お召しになっているお洋服が、圧倒的に質がいいなと、感じざるを得ない。
そして郁美さんは服にとても情熱をもって取り組まれているデザイナーさんである。
そんな郁美さんがイベントを開催します。
物事の本質を大切にする。絶対いい体験になるイベントだと思います。
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